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健康コラム

家庭の医学

人は死んだらどうなる?

新潟リハビリテーション病院
[掲載日]2013.04.03
私のコラムはいよいよ最終回となりました。次回からは別の医師による健康コラムが開始となります。
最後の締めくくりに『人は死んだらどうなる?』をテーマにしてみましょう。

私は、非常に多くの癌患者さんの最期を見送りました。一時はホスピス医師を真剣に目指していました。
人は死に直面すると非常に動揺し、恐怖におののきます。存在の危機なのです。
しかし、体調を崩して死線を彷徨った後に一時的に回復した患者さんは、3人に1人は同じことを言います。
「先生、俺、死ぬの怖くなくなったわ。」です。
「ははーん。その様子だと見てきましたね。」死線を彷徨っている間に『死後』を経験するらしいのです。

どうやら、死とはドアを開けて隣の部屋に入るくらい簡単で、恐怖や動揺とは無縁のものらしいのです。
「先生にはこんな話をしても聞いてくれるような気がして」と切り出してきます。
皆さんが経験してくるのは、言葉では表現できない感覚らしく、言葉に詰まりながら必死に説明してくれます。
いずれも似た話になります。一つのストーリーにしてみましょう。

ー苦しくて苦しくてしょうがなかった。
 ところが、急に痛みが遠のいた。自分が体から離れたのに気がついた。
 だって目の前に『おれ自身』が寝ているのだ。不思議だった。
 急に体が上空に引き上げられた。人の町が小さく見下ろせた。
 家々が次第に遠のくと同時に自分の名前も、一人の人間であったことも
 忘れた。もともと人生そのものが夢みたいなものなんだと気がついた。
 凄い速さで移動しているのが解った。今度は、全くの平穏・全くの愛の
 中に居た。まるでお花畑や森の中の静かな湖の湖畔にいるようだ。
 自分は愛されているのが解った。地平線から暖かい光が近づいてきた。
 その時、猛烈な後悔が襲ってきた。自分はまだしなければならないことが
 ある。その瞬間、ベッド上で気がついた-

大体、こんなストーリーなのだ。
人は死んでも何処かに行くらしいのだ。
皆さんも死を恐れることなく今を生きて生き切ってください。
                            おわり。

新潟リハビリテーション病院/内科医:伊東浩志
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